芸術は必須じゃないけど、豊かになる
人間が生きるのに必須なものって、何だろう?
まず挙げられるのは、衣食住。
よく言われるのが、睡眠、食事、運動。
芸術関係はそれらには入ってこない。
例えば音楽。例えば絵画。
だけど、そういったものを間違いなく必要とする人がいる、必要とする時がある、ということを、私は最近、強く感じる。
それは特別な人ではなく、普通の人でもだ。
私は今年になって新しく始めたことが二つある。
4月からはバイオリンを、
10月からは書道を始めた。
この二つが、私の最近の大きな拠り所となっている。
とは言っても、のめり込んで一日中没頭している、というわけではない。
ただ、私の大切な時間の一つになっている、ということだ。
まず、バイオリン。
これを始めた動機はかなり不純なものだ。
子供に何か音楽をさせたかった。
まず、ピアノを思い浮かべたが、たまたま知り合いのママさんがバイオリンを習わせているという。
聞いてみたら、思ったほど値段は高くなさそう。
ピアノほどかさばらないし、これはいいんじゃないのか。
けれど、やはりピアノほどメジャーではない、バイオリン。
知人の先生は、これ以上生徒は増やさないということでダメだった。
だから、新しく先生探しをしたが、なかなかいない。
いても条件が合わない。
通いにくかったり、料金が、こちらが思っていたのより高かったり。
たまたま、別の知人が「トホゼロ」という会社を紹介してくれた。
自宅に先生が来てくれるシステムだ。
また、私が契約した時は料金が上がる前だったので予算内だった。
これはいい、とお願いした。
子供のためと言いながら、実は私自身が弾いてみたかった。
トホゼロのシステムも、1人教えるのも、家族全員を教えるのも、同じ3000円の基本料金が必要だった。
1人だけだと割高だから私も習うね、と夫に伝え、子どもと私の2人で、始めた。
これは結果的にもよかった。
子供の練習を見るのにも私が全くの門外漢であれば何も指摘できない。
けれど、多少でも私がかじっているので、ここはこうだよと教えることができるからだ。
私の音楽歴は、大したことない。
小学校の頃、ピアノを弾いていたが、練習が嫌で嫌で、ほとんどまともに練習していなかった。
そんなだから上手くなるはずもない。
大学の時1年間ほどギター部に所属していた。
当時、GLAYの全盛期のちょっと後。
ギター弾けたら楽しそうだなぁ、というまたまた不純な動機だった。
それも途中でやめた。
今思うと、みんなで合わせてやろうというのが私にはどうも合わなかったようだ。
といって、ソロで弾くほど上手くはない。
全てが中途半端だ。
私は普段からポップミュージックもクラシックもなんにも聞かない。
子どもに聞かせるために、童謡をつけているぐらいだろうか。
そんな私がまたまた思いつきでバイオリンを始めている。
個人レッスンで、特に発表会もない。
それが私には心地よい。
上達という意味では不向きかもしれない。
けれど、私はただ自分のために弾いている。
まだまだ汚い音だ。
けれど、このバイオリンに向かっている時間は確かに癒されている自分がいる。
今までの経歴を振り返ってみても、どう考えても、音楽家向きではない私。
ただの凡庸な私。
そんな平凡な私の日常に潤いを与えてくれる音楽という一つの芸術は、やはり人が生きていく上でなくてはならないものだ。
人によってその形は様々だろう。
私の場合はバイオリンだった。
人前で弾くだとか、誰かと合わせて弾く、というプレッシャーがない気楽な環境が、特に私にはありがたかった。
芸術というと、大層なもののように思われる。
けれど、ただの平凡な人間にひっそりと寄り添う、こんな芸術の形があってもいいだろう。